平成十年 八十五歳

大正のしみじみ遠し後の月
沼晴れて遠き山並芦枯るる
釣人と初鴨の群沼しづか
薄明や早や笹鳴きの来てなけり
生れ日や殿様バッタに会いにけり
蓑虫の逆立ちをして地を歩む
山を背に一ッ家有りてお茶の花
四日はや和尚と語る青木の実
一刻を庭歩きする冬木の芽
本丸や冬渡さんと流鏑馬と
椎の実を小さく蹴ってゐたりけり
白一色未踏の路地の雪を掻く
寒紅や終日主婦として老ゆる
如月や紅茶の香り今朝の空
訥々と野州訛りや凍豆腐
客のせて浮葉の中を沼小舟
小雨降るひとり昼餉の干鰈
葉桜や儚きものの美しく
沙羅双樹花の盛りを静かなる
百穴の古墳無事なる夏つばめ
ていねいに餘りのいのち額の花
咲き満ちて菜の花明り夜の月
黙々と飯食み居れば雀の子
独り身の満ちたる日々や水温む
沼ほとり彼岸桜の影伸びて
行く春や水ざぶざぶと菜を洗ふ
赤いバス幼児手を振るこどもの日
二ッ目の師の句碑祝ふ毛野は初夏
初つばめ軒をかすめて宙返る
釣舟のつゝいて帰る夏入江
新築の家をいらびて夏つばめ
田も畑も人影のなき大暑かな
茶臼より朝日岳見ゆ夏がすみ
毒有りと思へぬ蓮華つゝじかな
捩花の捩れきれずに素直なる
立秋や雨音をきく深庇
八月や大正生れの下駄履いて
稲妻の走りて一人女住む
たれかれの句を讀み返す蛍の夜
秋めくや午後のかげりの早くなり
古里のなすすべもなし秋出水
表札は男姓の名なり小鳥来る
終生を厨に立ちて秋蚊追ふ
亡き夫の石碑再建小鳥来る
秋風の立ちて師を思ふ日となりぬ
笹鳴きのつまづきながら良く啼けり
天高し真砂女先生の若さかな
菩提寺へ貧者の一燈秋の暮
暮れ早しコブ観音の鈴鳴し
忘れ以ぬ友の面影寒星座

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